明星食品のキラリ 明星食品について

☆アラカルト

社名の由来

明星食品の創業は、1950(昭和25)年3月28日。
乾めん(そうめん、ひやむぎ)の委託加工制度により、農林省(当時)から原料粉の供給を受け、乾めんを製造したのがはじまりです。
当時の本社所在地、東京都武蔵野市吉祥寺3240の一帯は通称“明星台”と呼ばれていました。
これは井の頭公園の南面台地に「明星学園」が1924年に開設されてから、いつのまにか辺り一帯が「明星台」といわれるようになったためです。この地名にちなみ、また明けの明星、 即ち“金星”に社業発展の願いを込めて「明星食品」という社名になりました。そしてこの地から、画期的な開発ストーリーが始まります。
日本初の「移行式自動乾燥装置」の発明
創業当時の乾めんの乾燥方法は、天日乾燥二度干しでした。天候に左右されるこの生産方式のため、乾めん業界は、家内工業から脱却できないでいました。
奥井清澄(創業)社長は、乾燥に必要な温湿度、風などの条件を整えれば4時間で乾燥できることを発見。クリーニング店の店内にずらりと並ぶハンガーからヒントを得て、「移行式自動乾燥装置」を考案しました。それは、部屋の中にチェーンを張り、そこにハンガーを取り付けて、麺をつるして4時間かけてゆっくりと移動させながら乾燥させる装置でした。
1954(昭和29)年、新聞で報じられると全国各地から数百もの同業者が連日見学に殺到したそうです。こうして明星食品は、1957(昭和32)年には全国第一位の製麺メーカーとなりました。奥井清澄(創業)社長はこの「移行式自動乾燥装置」の特許申請を行わず、同業者に公開しました。これは、乾めん業界全体が発展し、より大きな市場形成に役立てたいと考えたからでした。
特許の公開は、同業者にたいへん感謝され、後に明星食品が全国に協力工場の設置を求めた時、非常にスムースに話が進むことにもなりました。

クラブ活動

充実した仕事は、オフタイムの充実から
  • 明星食品野球部

    明星食品野球部

  • 明星食品駅伝部

    明星食品駅伝部

社員同士の仲が良く、コミュニケーションも活発で、部門や世代を超えたチームワークの良さがあるのも、明星食品の強みの一つです。そうした交流は、仕事上ではもちろん、オフタイムでも盛んで、気心の知れた仲間や有志が集まって行われているクラブ活動や懇親会・交流会は、充実した仕事の源泉にもなっています。
たとえば、野球部には数十名の社員が所属しており、「勝敗にこだわらず楽しむこと」をモットーに、家族ぐるみでの交流や取引先のチームと試合をするなど親睦を深めています。「所属も仕事も年齢も関係なく、楽しく野球ができ、みんなの声援を受けながら入るバッターボックスでは、仕事とちょっと違った心地よい緊張感を味わえます。」(部員談)
また、駅伝部(その名も、「三鷹EKIDEN RC」)は、2012年5月に行われた「第3回 企業対抗駅伝大会」に参加し、食品・飲料業界ランキング1位(男性の部)を獲得。チームワークの良さと共に、日頃の練習成果を発揮し、単なる体力づくり・健康づくりにとどまらない高い実力を示しました。
ゴルフ部では、恒例のコンペが年に数回あり、それぞれ腕を磨いています。中には、ゴルフよりプレイ後の表彰パーティーが楽しみな人も。初心者でも、仕事同様、先輩がやさしく教えてくれるから安心です。初心者メインの“若葉コンペ”も恒例行事の一つです。
その他、定期的に行われる交流会を通じて、部署や世代の垣根を超えて社員同士が積極的に交流をし、仲を深めています。
こうしたオフタイムの充実により、心身をリフレッシュさせることが、明星食品のキラリと光る仕事や商品開発にもつながっています。